「私は信じます」 05.05.29
ローマ 10:1〜13
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを
死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる。」、
「主の名を呼び求める者は誰でも救われる。」聖書は、私たちが
イエスさまを信じることを、いつも願い、求めてきます。
しかし、このような御言葉に出会うと、自分が救われるのか
どうか、不安に思う時があります。自分の信仰は、救われるための
合格点を満たしているのか…?そう自問する時に、自信を持てない
ことがあります。
「信じるなら…」との言葉は、「信じなければ救わないぞ!」と
言った脅しの言葉ではありません。優位に立っている者が、
偉そうに自分のいう事を聞かそうとして言っている言葉では
ありません。福音の言葉は、人を脅したり、煽ったり、焦らせる
言葉ではありません。
カルト宗教のように脅しをするのではなく、イエスさまが救いの
道を用意してくださったことを語るのです。
「救い」という愛の出来事の実現したことが、前提となっている
言葉です。
ですから、「救いがある。だから、ぜひ信じなさい」との呼びかけ
です。
自分の信仰や人の信仰に勝手に点数をつけることがあります。
しかし「合格点かどうかを心配などしないで、ただ信じたらいいよ」
という励ましの言葉です。そもそも信仰に合否を分ける点数は
ありません。
イエスさまは、「信仰の薄いものよ」とお叱りになったことが
ありました。
しかし、そのような者から離れてしまわず、手を差し伸べ、教え
続けます。
信仰の薄いことは、恵みに気付かないことでありますから、良い
こととは言えません。
しかし、イエスさまに見捨てられて、救われないことでは、断じて
ありません。
主は、からし種一粒の信仰をご覧になってくださいます。
「主の名を呼び求める者は誰でも救われる」のです。
イエスさまが必要だと認めて、呼びかけたら良いと、御言葉は
語りかけてきます。
私たちは、肩肘張って生きなくても良いのです。イエスさまは、
呼び求めるものに答えるつもりで、待っていてくださいます。